【No.45】 「1ヶ月間の車椅子バスケットボールキャンプのコーチを終えて in Bangladesh」 後編

◆今回の車椅子バスケットボールキャンプ

私がバングラデシュに来る1ヶ月ほど前に、ASCoN(アジア脊髄損傷ネットワーク)主催で 、バングラデシュ、ネパール、インドの三カ国で車椅子バスケットボールの大会が行われました。 結果はバングラデシュの優勝。屋外コートには大勢の人が集まり、盛り上がり、車椅子バスケットボールチームが脚光を浴びたそうです。 この盛り上がりの波を逃すな!ということで、CRPは私の赴任に合わせて、技術強化を目的に1ヶ月のCampを企画しました。 最終的にはパラリンピックの出場を目標にしており、援助を赤十字社などから受けて選手たちの宿泊費・食事費・用具費などを賄っていました。
今回集められた選手たちは全17名。年齢は10代~50代の選手までと幅広く、障害の種類としては、脊髄損傷が大半で、ポリオと切断の選手が少数いました。 この選手たちは、CRPに入院していたかもしくは職員で、前回の大会前から練習を始めた選手がほとんどであり、初心者の選手も何人かいました。 現在バングラデシュ内には車椅子バスケットボールのクラブチームはなく、 つまりこのASCoNのために集められた17名が必然的に ナショナルメンバーということになります。 今回の赴任で、選手たちへは、技術指導を主に、ルール指導、クラス分け、競技用車椅子の調整、メンテナンス指導を行いました。 現地コーチに対してはコーチングの指導(練習メニューの組み方、アドバイスの仕方、選手へのケアの仕方)に加え、レフェリー指導も行いました。

◆ベルトとクッション

キャンプの序盤に、練習と同時並行で行ったことは、クラス分けの確認、車椅子のクッション・ベルトの調整です。 私が来る前、ベルトをしている選手はいなく(ローポインターも)、 後ろ下がりの座面の車椅子に乗ってプレーしていました(ハイポインターも)。 CRPにはSpecial seatingという、クッションやベルトの製作を行う部門があります。 私は日本人スタッフと協力し、選手一人一人の障害に合わせ、 ベルト、クッションの高さを採寸し、製作所にその設計書を持っていき製作を依頼しました。 今まで、障害をもっている選手の用具の選定はしたことがなかったので、 多々悩むことはありましたが、今まで車椅子バスケットに関わってきた経験と、 日本の障害者プレーヤーに電話で相談してなんとか準備を進めました。 ベルト、クッションが完成したとき、クッションに関しては「車椅子がこぎやすくなった!」と選手たちは皆大喜び。 ベルトに関しては必要ないと感じている選手もいるようでした。 何度言ってもベルトを部屋に忘れてしまう選手がいましたが、チェアワーク、1on1のスキルが次第に身に付き、 車椅子の動かし方が上達してくると、ベルトを忘れることはなくなりました。 車椅子の操作性が上がれば上がるほど、ベルトの必要性を感じたのだと思いました。

選手からベルトとクッションの希望をヒアリング中。車椅子バスケットのことを全く知らない通りすがりのおじさんがアドバイスをしてきます。

◆キーポイント

今回のキャンプでは、午前、午後の練習で必ず一つのキーポイントを設定し、 ホワイトボードに書いて選手たちに伝えました。 彼らは日本人プレーヤーに比べて、熱くなりやすく、ゲームになるととにかく勝つという結果にこだわるため、 キーポイントを忘れ、1on1で点をとることしか頭になくなっていました。 (この状態を選手たちは、「マタ ゴロン:頭が熱くなる」、と言っていました。)  そのため、一度の練習では多くを求めず、 その日のゲームで、キーポイントをどうやったら達成できるのかを考えてメニューを組んでいきました。 練習は、段階をつけ、ゲーム性を持たせ、キーポイントを守ることでの「旨み」を実際に体験してもらい、 キーポイントの必要性を感じてもらうことを意識しました。 例えば、キーポイントが「ナンバーコール」のとき、始め選手たちは相手オフェンスの名前を呼ぶことがなかなかできませんでした。 声を出すと仲間と助け合える!と気づいてからの選手たちはちゃんと声を出し続けるようになりました。 彼らは、頭の中のイメージを行動にすることは得意でないようでしたが、 「これ、やった方がいい!」と気づいてからの習得は恐ろしく早いものがありました。 日に日に難度が上がるキーポイントを、ワクワクしながら「次は何をやるの?」と楽しみにしている選手たちの姿を見るのが、私はとても好きでした。

選手たちは真剣に話をきいてくれました

◆TEAM OF、TEAM DF、Communication

キャンプが始まってすぐのゲームは、個人個人が各々でプレーするものでした。 オフェンスでは、仲間がフリーでいても無理やり自分でシュートを打ち、 仲間が厳しいボールチェックを受けていてもピックにいくことはない。 ディフェンスでは、仲間のヘルプをすることはなく、ただファウルをして相手のオフェンスを防ぐ。 ミスした仲間を責め、うまくいかないと言い訳をしていました。
そこで、このキャンプを通してのキーポイントを「TEAM OF、TEAM DF、Communication」と設定し、提示しました。 プレーをしているとき、自分は一人ではないということ。 チームメイトと協力することでプレーの選択肢は広がり、 チームプレーをすることで車椅子バスケットボールは何倍も何十倍もおもしろくなる、 ということを何度も何度も形を変えて伝えました。 キャンプ最終日のトーナメントでは、1on1で点が取れないときにPick&Rollをトークしあって挑戦する姿や、 熱くなっているチームメイトに「マタ タンダ!:頭を冷静に!」と声をかけ合ってミスをフォローする姿をみて、 少しだけ、自分が伝えたかったことが伝わったのかな、と思いました。

キャンプが始まってすぐのゲームは、個人個人が各々でプレーするものでした。 オフェンスでは、仲間がフリーでいても無理やり自分でシュートを打ち、 仲間が厳しいボールチェックを受けていてもピックにいくことはない。 ディフェンスでは、仲間のヘルプをすることはなく、ただファウルをして相手のオフェンスを防ぐ。 ミスした仲間を責め、うまくいかないと言い訳をしていました。
そこで、このキャンプを通してのキーポイントを「TEAM OF、TEAM DF、Communication」と設定し、提示しました。 プレーをしているとき、自分は一人ではないということ。 チームメイトと協力することでプレーの選択肢は広がり、 チームプレーをすることで車椅子バスケットボールは何倍も何十倍もおもしろくなる、 ということを何度も何度も形を変えて伝えました。 キャンプ最終日のトーナメントでは、1on1で点が取れないときにPick&Rollをトークしあって挑戦する姿や、 熱くなっているチームメイトに「マタ タンダ!:頭を冷静に!」と声をかけ合ってミスをフォローする姿をみて、 少しだけ、自分が伝えたかったことが伝わったのかな、と思いました。

試合中のPick&Rollの場面
練習の合間に、選手同士でシュートを教え合っている場面

◆バングラデシュにおける障害者の位置づけ

1か月間、バングラデシュで過ごす中で、 バングラデシュは日本に比べて障害を持っている人が生きにくい国だというのを強く感じました。 まず、障害のある人は、ほとんどの人が仕事には就けません。 CRPはかなり特殊な環境で、障害のある人がどうしたら働けるのかを考え工夫していますが、 この施設を一歩出れば健常者に比べハンデがある人を雇うことはまずありません。 貧しい人は、わざと手や足を切り同情を誘い物乞いをすることも珍しいことではないと聞きました。 私自身も、渋滞中の車内の中で、片足切断の人が車を一台ずつ回って窓を叩き、お金を求める姿を見ました。
今回のキャンプ参加中、メンバーは宿泊と食事の面倒は見てもらえます。 しかし、その間働くことができないので、家族の中で働き手であったとしても労働源でなくなってしまいます。 「お金がないから、次のキャンプがもしあっても来ない。」と言っている選手がいました。 私は何も言うことができませんでした。車椅子の選手は村から出てくる場合、自動車を一台チャーターしなければなりません。 その費用は高額で、車椅子を利用する選手が外出することは、裕福な家庭以外はほとんどないとのことでした。
若手選手の一人は、「自分は障害者だから彼女の親に結婚を認めてもらえない。」と悩んでいました。 仕事に就けないことが大きな原因のようです。 障害受傷してまだ3ヶ月の選手は、 「大学では優秀だった。これから首都で仕事をする予定だったのに、僕は障害を負ってしまった。これから生きる意味がない。」と言っていました。 彼は障害の受容がこれからだったのもあったと思いますが、 バングラデシュにおける障害者のイメージは、日本におけるものとは差があるのだとも感じました。 バングラデシュで障害がある人は完全なる社会的な弱者であり、 仕事をすることも結婚をすることも十分に受け入れられていない状況でした。 しかし、障害があっても車椅子に乗ればコートの中でこんなにも自由に動くことができる、 迫力ある試合で観客をエキサイトさせることができる、というのをもっと知ってほしいと思いました。 障害があっても、自分と変わらないバングラデシュ人なんだ、ということをバングラデシュの人々が理解するためにも、 車椅子バスケットがこの国で普及される意味は非常に大きいと感じました。

◆バングラデシュで学んだこと

キャンプ中、私は熱が入ると日本語とジェスチャーでバングラデシュ人選手に伝えてしまうことがありました。 それでも選手たちはうんうんと真剣に耳を傾け、理解している、なんてことがありました。 選手たちも、言葉の分からない私にベンガル語でガンガン話しかけてきました。 言葉はわからないけど、なんとなく言いたいことは伝わってきました。
「大事なことは同じ言語を話せることじゃない。伝えたい思いと、教わりたい思いが一致したとき、ちゃんと伝わる。 コーチの誠意が伝わったから、選手は自分の言葉で伝えようとしてくれている。」という言葉を、 通訳をしてくれた日本人スタッフの方から頂きました。 日本人同士でも、同じ思いを共有していなければ意志疎通は難しく、 逆に同じ思いを共有していれば人種、言語が違くても関係ないのだ、ということを教わりました。
コーチは、誠意をもって選手一人一人と向き合い、どうしたら選手たちに伝わるか、 どうしたら車椅子バスケットがもっと楽しくなるのか、を毎日考え、悩み、試し、失敗し、修正し、選手から教わり、 選手と一緒に成長し続けられる力が必要なのだ、と再確認することができました。 バングラデシュチームは、今年千葉で行われるアジアパラリンピック予選に参加できるよう援助を探しているところです。 彼らが今年日本に来れるかはわかりませんが、今回1ヶ月間関わって終わりにするのではなく、 これからもバングラデシュチームのために自分のできる関わりを続けていきたいと思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

作業療法士。 2007年に埼玉県立大学SPREADで車椅子バスケットボールプレーヤーとしての活動を始める。 大学卒業後は母校でコーチをしながら、2011年に社会人クラブチームREVIVALを立ち上げる。 2013年Jキャンプin茨城にキャンパーとして参加。現在はプレーヤーとして活動しつつ、 埼玉県選抜チームのアシスタントコーチ、子どもを対象とした 草加市の車椅子バスケットボール定期講習会の講師をしている。